カンガルー

カンガルーはアボリジニー語で「しらねーよ」という意味だそうです。

現地の人が西洋人に「あれはなんて動物だ?」と聞かれ「カンガルー(しらねーよ)」と答えたのが由来だとか。ほんとかよ、といいたくなるような話ですがそんなのは「カンガルー」です。

さて、くだらない話はさておいて、「しらねーよ」で有名といえば、この日記のタイトルにもなっている大哲学者ソクラテスの言葉があります。彼の場合は「無知の知」なんてカッコいい言葉で言われたりしますが、どうやってその言葉が生まれたのか、私も曖昧なところがあるので調べてみました。


ソクラテスが40歳弱の時、彼の友達の一人がアポロンの神殿に行き「ソクラテスより賢いものがあるか」とたずねました。すると神殿の巫女は「ソクラテスより賢いものは誰もいない」という神託を伝えます。
ソクラテスは「神託の意味はいったいなんだろうか?」と考え、有名な政治家・軍人・詩人などを訪ね、彼らと問答をしました。実際に自分より賢い人を発見して、事実をもって神託を反駁しようとしたのです。
ところが、これらの人々は自分では知恵を持っていると思いながらも、もっとも大切なことは何も知らないということにソクラテスは気付くのです。つまり彼らは自分に属するもの(財産や名誉など)は知っているが、もっとも大切なこと、『自分の魂のよさ』については何も知らないということに。
彼らは、それを知らないにもかかわらず、自分では知っているつもりになっている。それなのにソクラテス自身は、「自分がそのもっとも大切なことを知らない」ということを知っている。
無知の知』という点で、彼らよりもソクラテスの方がより賢いと、神託は下したのでした。


さて、神託とか魂の良さとか、よくわからない事が出てきましたが、要するにどんなに知識を有していても全知全能なんてことはありえないんだから、みんなそういう意味では知らないことの方が多いでしょ?と、だったら自分は無知である、そう知っていることが大切だよと、そういうことです。

偉そうに言っていますが、この文も他人の知識を拝借した結果ですので私は『無知の知』というよりただの『無知』。そういう意味では西洋人に「あれは何?」と聞かれて「しらねーよ」と答えられる現地人は、私よりずっとソクラテスに近い存在で、ちょっとだけ私の憧れです。

まーなにより現地人に「しらねーよ」と言われた西洋人が、その後なんていったのか、そっちの方が割りと気になっていたりするのは私だけだろうか。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

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